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執筆者の写真Hamu Isen

「影の現象学-近代の影」


当たり前だが何かに集中することで制作は前進していく。

しかし、集中することの背後には集中しないものが蓄積している。


心理学ではこれを「影」と呼ぶ。

河合隼雄さんの「影の現象学」はあらゆる影の創造と対立とが見事に解析された名著だ。


「集中」を「拘り」や「信念」という言葉に置き換えても同様だろう。

拘りや信念の先に正しさがあって、その背後にあるものは正しくないものである。

そう考えて前進してきたのが近代という時代だろう。


そして現代においては、近代の背後に位置付けられ「見られて来なかった存在・正しいとされてこなかった存在」が、ある信念をもって前進しようとするが、

そうすればするほど背後には「近代が信じてきたもの」が蓄積する。


背後に位置付けられたもの・無視されたものは、

どこかのタイミングでカウンターを起こして表面に現れるからだ。

つまり、近代的なるものを極端に否定した先には、結局のところ近代的なるものが立ち現れるということだ。

そのようにして、近代は終わった・いや終わっていないという議論になるのだと思う。


制作では案外、集中することの背後に面白い発見が潜んでいる。

しかし、色目をもって背後にあるものを捕まえに行こうと思うとそこには何もないことに気づく。

真剣にどこかに向かう意識がないと背後にあるものは熟成されていかないが、

信念をもって前進する限りにおいてはそもそも振り返ろうと思わないし、

振り返ってもそこに何の価値も見出そうとしないものだ。


前進するも振り返るもなく「今ここにいる」感覚に入り込めれば

自ずと面白いものや気づきはあるのに。

それが困難なほどに近代的思考はこの時代の内部にまで染みついていて、

未来を予測できると思い、前ばかり気にしてしまう。


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